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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵(断簡)を出品 | ||||
商品説明(来歴) | 大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の旧所蔵である。近衛基熙は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を書いてある。京都の庭園/重森三玲/昭和11年/天金本/従来殆んど人口に膾炙しなかった庭園や忘れられたる庭園に至るまで価値あるものは出来るだけ集めた。詞華和哥集 十巻 江戸前期寫。 | |||
漢詩文 | 原本自筆上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。これは、中国の皇帝が譲位した場合、高位の高官も職を致仕(退官)するという「白氏文集」の漢詩文に由来するものです。@1932年 現代中華民国満洲国人名鑑 検索:支那 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党軍 生写真 古建築 総督府 汪精衛 溥儀 張作霖 関東軍。絵図 (城郭図) 三重県 伊勢國 長島城 瀧川 一益(レターパックライト発送)。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。紫式部は「若菜・下の巻」を書くに際し、漢詩を熟読したうえで原文を書いていることがわかります。智永真草千字文真蹟 谷氏本 検:碑帖 拓本 墨拓片 原拓 碑刻 法帖 北魏碑 珂羅版 支那 法書道 善本 篆刻 朱印譜 唐本 漢籍 王羲之 神品 大唐。挿花美玉集 天地人巻 大露庵法橋河村一洗撰 美玉遠州流。 | |||
漢詩の落款の意味 | 原本上部の漢詩の落款は、「讃」と称されるもので、古来、掛軸の書画に第三者がお褒めの言葉を書き込むもので元々は自筆でした。貴族から始まり藩主、あるいは高名な茶人や僧侶が書かれて、それが茶会の「掛軸」に装丁されて披露されておりました。由利公正書幅。1931年 支那 古書 汪精衛 蒋介石 馮玉祥 孫文 関東軍 陸軍閥 国民党 租界 生写真 革命党 孔祥熈 洋行 巡捕 満洲 総督府 張学良 支那 古建築。 「茶事」は、「ヨーロッパの晩餐会(ばんさんかい)」とも言われます。晩餐会では、「ワインを楽しむために行われる」ところも似ています。@1929年 王陽明傳習録 掃葉山房 漢文 古籍 検索: 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。即決 1869(明治2)年『盛岡暦』アンティーク、天文暦学書、超希少、陰陽師、卜占、古暦、明治維新、地方暦、舞田屋版、南部暦、岩手県。茶道では「掛け軸は最高のごちそう」といわれております。とりわけ、漢詩の落款は、ただ、古典の漢詩を入れればいいという単純なものではなく、たとえば、「源氏物語」の場合、原本の中に込められている紫式部が考えた知識を読み解くことにあります。即決・極稀◆「新史学」木村鷹太郎 直筆書簡(坂本辰之助宛)大正12年頃。1938年 支那事変 画報 中華民国 軍閥 旧日本軍 関東軍 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党軍 生写真 古建築 総督府 汪精衛 南京 満洲 蘇州 盧溝橋。 落款の「讃」の元になるその原文の個所には、 「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」の漢詩に由来するものです。免園雜録 高野長英 高橋元貞 蛮社の獄。桃太郎御話聞書 淘祖春龜齋丸三先生御話。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。筑波征伐元治太平記 水戸天狗党 武田耕雲斎。f20100201〇中村不折 直筆画 明治・大正・昭和期に活躍した日本の洋画家・書家。正五位〇和本古書古文書。本多弾正少弼書状 真田伊豆守宛。 出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。中国の遊印 検索:印譜 和紙 朱印存 封泥 古印社 篆刻 金石印 石鼓文 篆印 落款 古璽 支那 拓本 法書道 秦漢印 唐本漢籍 缶廬 鄧石如 呉譲之。支那事変・海軍航空隊奮戦画報・空臨時増刊/海軍省軍事普及部監修/昭和13年/南京上空の殲滅的空中戦/京空襲の懐出/支那事変空爆日記。 古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。文化新撰 狂歌百人一首 六樹園撰 北尾重政画。覺鑁大師 孝養集 上中下巻 116-11。 | |||
断層(MRI)写真 | 従来、日本の古美術の鑑定の際の分析・解析は、エックス線写真、赤外写真、顕微鏡が中心です。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。【推薦!貴重・稀少戦前和書【全頁流麗絵入+説明入】日本歴史畫集 合戦国武将軍武者絵浮世絵本天皇武田信玄上杉謙信徳川家康古書籍骨董仏教。(和本)標註十八史略正文 全7冊 渡井量蔵標註 内藤傳右衛門板。 | |||
寸法 | 「源氏物語」自筆の大きさ タテ21.8センチ ヨコ12.8センチ。額縁の大きさは タテ37.0センチ ヨコ28.0センチです。1936年 漢書 唐本 漢籍 上海大光書局 精装本 検索: 善本 宣紙 白棉紙 玉扣紙 木版 木板 木刻 套印 紅印 初版 殿本 聚珍本 漢文 漢学 漢印譜。趣味の絵科学・飛行機と航空船/白川稔/昭和8年/本書は面白く分り易い最新科學の教科書であるが写真図解による解?を主とし文字は従とした。 | |||
「源氏物語」の自筆について | 1・筆跡の分析について 国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。 一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。新撰彫物画譜 小島勝美画著 彫刻。はいかい 如是我聞 俳諧 浮簽狂人久藏著 贅亭主人諫圃(夏目成美)校 小林一茶他。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。 2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について 自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。新版 島原軍物語 巻中(上中下巻内) 寶永元年版。善光寺如來三國傳來物語 巻第五(大尾) 江戸日本橋/万屋清兵衛板行。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。 「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。春興噺萬歳 巻之一・巻之二(全五巻内)。正二位藤原實陰和歌 春日同詠青柳風静和歌。 3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について 近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。両兎林 中巻 栖鶴編 英一峰画 宝暦九年 稀覯俳書。@1919年 何紹基 石門頌 禮器碑 何子貞 有正書局 唐本漢籍 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 法書道 篆刻 印譜 王羲之。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。貞観政要 全10冊揃いセット(全10巻) 南紀学習館蔵 文政6年 /江戸時代 漢籍和本。曹大家女論語図会 和本/文政12年/1815年/村田嘉言画/加賀屋彌助/女四書/江戸期。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。古今和歌集 上下巻(二〇巻) 松會開板 孟春吉日刋/元禄寶永頃刋。日蓮上人御傳記 巻2~11巻(大尾)(巻1欠) 延寶九年刋。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。古人俳諧随筆 栗浅園。絵図 (城郭図) 神奈川県 相模國 小田原城 歴史資料 帳仕立て(レターパックライト発送)。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。 ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。集古圖説 本朝軍器考圖式 上下巻(内上巻の下一册欠) ベストセラーランキングです近くの売り場の商品カスタマーレビューオススメ度 4点 現在、3940件のレビューが投稿されています。 |
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。各務支考(蓮二房)編『本朝文鑑』(全九巻首一巻五冊揃)享保3年 野田治兵衛他刊 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。関宿藩領関宿江戸町古文書河川関係●1873年 デレーケ氏柴工水刎 全 26丁 下総国東葛飾郡関宿江戸町 現在の千葉県野田市 221010。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。h∞∞ 頭書 増補和歌題林抄 1巻~10巻 不揃い 10冊セット 11巻欠け 古文書 古書 発行年不明 /C05。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。森本儀太夫 加藤家十勇士 玉田玉秀斎 立川文明堂 明治 木版画。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。通俗插画 小學外史 五巻 小林清親画。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【R】D3◆超希少◆ 皇族御写真帖 当時物 天皇陛下 日本政治 貴重品。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門」を称する。馬占山氏 生写真 検索:支那 中華民国 汪精衛 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 土匪 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 満鉄 馬賊 事変。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。新板 曽呂里はなし 怪異小説の一源流 怪談 曾呂里物語。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。『諸国案内旅雀』(8冊セット)享保5年和泉屋山口茂兵衛梓 江戸時代和本 絵入本 地誌 古地図 旅案内 諸国旅雀。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。万延元年 江戸時代 和本 和歌の本 短冊 書 写本 貴重資料。柏木は朱雀院(前朱雀天皇)皇女で源氏の君の正室に降嫁した女三の宮へのかなえられない恋に煩悶する。日本刑法治罪法講鮮大全 明治16年 法律法学 六法全書 戦前 明治大正 古書和書古本 P。翌年、朱雀院(前朱雀天皇)と女三の宮との対面を企画し五十の賀宴が催されることになった。☆E0170和本文久元年(1861)「宗門人別改帳ほか」4冊/甲斐国巨摩郡一町畑村(山梨県)/古書古文書/手書き。葵祭りの前日、柏木は源氏の君の不在時に小侍従の手引きにより女三の宮と逢瀬をした。【全17巻】 明治11年「明治新刻 日本政記」 合本4冊 大郷穆 東生亀次郎 和本 木版色摺古地図多数 資料 日本史。
自筆上部の「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」の漢詩の落款
漢詩は「白氏文集」の中の有名一節です。1940年 支那 幌子 風習 招牌 看板 広告牌 租界 生写真 古建築 洋行 銭荘 票號 商標 商号 酒保 酒舗 照片 牌額 旧中国 図版 相片 憲兵 事変。
《原本上部に「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて諸(これ)を廟(城門)に置く)」という。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 毛利 書状 古文書。原文には、「かしこき帝の君も位を去りたまひぬるに、年ふかき身の冠(かふふり)を懸(か)けむ」と記されており、「白氏文集」の漢詩文からの引用である。華厳遊心法界紀。
自筆上部のタテ長の印は、「懸其所仕之車置諸廟(其仕ふる所の車を懸(か)けて
諸(これ)を廟(城門)に置く)」という漢詩文の落款。長野の多くの城が図入りで解説。緒方洪庵訳『病学通論』(全3冊揃)安政4年秋田屋太右衛門他刊 西洋医学書 医書 江戸時代和本 蘭学者/蘭方医。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。清輔袋草紙。「さらに知られし」と、思ひつる物をとて、
髮を振りかけて泣くけはひ、たゝ、「むかし見給ひしものゝけのさま」
と見えたる。陰陽行儀 三元十八神道次第 文化八年 神道管領長上卜部朝臣良連 黒漆(内側朱漆)塗箱入り。
《「源氏物語」若菜(わかな)下の巻》
《准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得た我が身を回顧する源氏の君》
《紫の上の体調異変の知らせに源氏の君が僧侶に延命の加持祈祷を依頼する》
《紫の上の病の原因であるもののけの原因である魂を加持祈祷によって再現させる》
《大殿(源氏の君)の祈りによってもののけはみごとに調伏(ちようぶく)された。江戸時代の和本「厭蝕太平楽記」全30巻、版本、箱あり、天保年間?真田幸村の軍記物、猿飛佐助初出(忍者として書かれていない)。
この私(もののけ)を、》・・・・・幾月も祈り伏せて私(もののけ)を苦しい目に
おあわせになるのが嘆かわしく苦しい。弾正尹美仁親王 秋日詠二首和歌。
けっしてさとられてはなるまいと思っていたのに」
と言って、もののけが髪を額に振りかけて泣く様子は、
まったく昔ごらんになったことのあるもののけの有様そのものとみえた。大正2年発行 武士道物語 樋渡海門 啓成社 桂川の地戦/武蔵野の露/小田原城の殉難/武田家の宿将/大阪落城の義士 etc。現在は、准大上天皇として現世における極上の栄耀栄華を得ている。信濃國伊那郡上新田村宗門人別御改帳他。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。忍術からスパイ戦へ/藤田西湖/昭和17年・3000部/支那事變以來幾度か特殊の軍事任務に携はり我が忍術の今日に處して最大価値あるを認識した。
《New Herbs Part Two(若菜・下)》
I have wanted you to suffer as I have suffered.
But then I saw that I had brought you to the point of death and I pitied you,
and so I have come out into the open.
I am no longer able to seem indifferent, though I am the wretch you see.
It is precisely because the old feelings have not died that I have come to this.
I had resolved to let myself be known to no one."
He had seen it before. The old terror and anguish came back.
He took the little medium by the hand lest she do something violent.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
我本来是不想教知道是我的。貞享五年御用番文書 戸田山城守・稲垣安藝守他 貞享五年。
中国訳文の出典:『源氏物(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
中央の写真(右から2番目)の写真が「源氏物語」若菜・下の巻の末尾(原本番号107-B)の押印。蘭唐 眼目全書。
冬姫は通称。東京御徒町・日吉堂本店發兌。【生資料】仙北郡参事会決議書 不揃い4冊 明治35年-38年(秋田県仙北郡)。左端の写真は「若菜・上の巻」末尾の拡大写真。1882年 和漢修身訓 2冊 不揃 検索:支那 上代 唐本漢籍 典籍 古籍 善本 高忠憲 周武王 周濂溪 薛敬軒 仙洲島田均 木版刷 木版画 南画 人物画。方子の上の印は方子の娘・幾千姫(玉映)の印。医療精義 徴候篇病徴部 三巻 木活字版 南豐/石川遠明卿譯述。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
【天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行】
4番目の写真は、「日本史の茶道」千利休の孫・宗旦と近衛基熙の茶の湯の交流」120頁(淡交社刊)
5番目の写真は、近衛基熙が、御所で第111代・後西院天皇を主賓に茶会を開催した記録「公家茶道の研究」55頁(谷端昭夫・著)
「源氏物語」「若菜・下の巻」絵図、茶室関係資料
下記写真1番目は、「源氏物語屏風(若菜・下)」(源氏物語絵巻)
朱雀院(前朱雀天皇)の五十の賀を祝い女三の宮、紫の上、明石女御が演奏する「女楽」の有名な場面
上の女性三人のうち右から紫の上は和琴、明石の女御は箏、女三の宮の琴。Schikking den woorden van holland 蘭書写本。出品した大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに近衛家から出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものである。官版・輿地誌略・7冊/内田正雄/明治時代の地理書・世界の地理を略述・西国立志編・西洋事情と共に明治の三書と呼ばれる・当時の教科書。「若菜・下」では在位十八年の冷泉帝が譲位し、これにつれて太政大臣が致仕する。【模写】書簡 徳川慶篤 近衛右大臣宛て 水戸藩 南山。また、原文中の上部に「篆書(てんしょ)体」の落款を入れたのは、仙台藩の藩主の正室・仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)、通称伊達貞子か出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子(よりこ)と娘・幾千姫(玉映)のいずれかと推定されております。1956年 絵本 連環画 孔雀東南飛 日本語 検索: 唐本 漢籍 漫画本 美術 傳説 人物絵 仕女絵 美人画 挿絵 小人書 古書 支那 中華民国 古典傅奇。 特に出雲・松江藩などの茶道の盛んな大名家の所蔵する自筆などに「讃」が付され、後に自筆に代わり、石刻による「漢詩」の篆書が「讃」として用いられました。(和本)木曽路名所図会 全7冊揃 秋里籬島編 西村中和画 和泉屋源七ほか板。とりわけ、茶室に入って行うことは、床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)することです。武州高麗郡入間郡 諸検使書留 赤井利兵衛。「讃」の中に有名な白楽天の漢詩を単純に落款として入れたのではなく、紫式部が原本の中に白楽天の漢詩を読み込んでいることを知ったうえで漢詩を選んでおります。野々口立圃俳句俳文俳畫巻 江戸前期の俳画の先駆者野々口立圃の真筆絵巻。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。1932年 唐拓九成宮醴泉銘 唐本漢籍 検索:支那 柯羅版 玻璃版 原色 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 善本 古墨拓本 碑刻石 瓦当 金石篆刻。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。鳳】明治 古文書 一條氏糸譜 清和天皇 辻新次 家紋 武田菱 まくり 共箱 資料 家譜 族譜 検:中国美術 掛軸 硯 墨。幼名は多治丸。古刀銘盡大全 全九巻 仰木弘邦 寛政四年正月刋。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。蜀山百首 太田南畝。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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